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コール・ヴァフナ
千夜一夜物語

One Thousand & One Night

​コール・ヴァフナのあゆみの中から、団員がふと思い出して語った思い出のエピソードをランダムに綴っていきます。​​団員が実名や学生時代の愛称のままで登場します。
​多少の相違はあるかもしれませんが、そこは昔語りなので大目に見てください。

​第一夜 創設前夜

コール・ヴァフナ創設の打ち合わせは、当時は携帯電話もメールもなく、集まって行っていました。

たぶん1982年後半から1983年にかけて、毎回池袋北口のビル2Fにあった「麦香村(ばっかそん)」という喫茶店(レストラン)に若かりし頃の、川合さん、俊吾さん、ペコさん、本田さん、関さん、小山さんなど数名が集まって、相談を重ねました。​​

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その打ち合わせの中で、ペコさんの提案で「Chor Wafna」と命名され、川合さんの発案で「共に白髪の生えるまで」という団のビジョンが決まりました。

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※麦香村

池袋の地で長年親しまれてきた麦香村は、池袋の戦後復興を象徴した手芸・衣料品専門店「キンカ堂」グループのレストランでした。キンカ堂の2010年(平成22年)2月の倒産に伴い、キンカ堂の5階で営業していた麦香村も閉店したようですが、詳しい記録は確認できておりません。

​(エピソード提供:シューマンさん、麦香村補足/文責:竹内)

第一夜

​第二夜 Chor Wafna命名

団名の「Wafna」とはカール・オルフの有名なカンタータ『カルミナ・ブラーナ』に登場する感嘆詞です。

ラテン語・古フランス語に由来し、主に「災いなるかな!」「ああ、なんということだ!」「こんちくしょう!」といった悲嘆や驚きを表す叫びとして歌われます。

 

登場シーンは第11曲「私はクカニアの修道院長ぞ (Ego sum abbas CuCaniensis)」の中で、酒と博打に溺れる破戒僧たちが神や運命の理不尽さを嘆くシーンで使われます。

 

​「Wafna! Wafna! quid fecisti sors turpissima?」(ああ災いだ、災いだ! 最悪の運命よ、お前はなんてことをしてくれたんだ!)」

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​(文責:竹内)

第二夜

​第三夜 練習会場と演奏会場

最初の頃の練習は、晴海の「ピアノアートサロン」というボーリング場の横の音楽スタジオで行っていました。

そして練習後にはほぼ毎回、銀座の「養老の滝」で飲んで、有楽町マリオンの下で歌うのがお決まりのコースでした。

若かったので、翌日のことなどまったく苦にならなかったのです。

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第1回から第3回まで演奏会を行った「音楽之友社ホール」は、ご来場いただけるお客さまの人数もわからない中、適当なサイズとして小職が探して、新婚間もなかった妻にホール取りに行ってもらいました。

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​※音楽之友社ホール

​Webマガジン「ONTOMO」 いまこそ見直したい! サロン・コンサートの殿堂「音楽の友ホール」

​創立:1983年 収容人数:220席​

​(エピソード提供:シューマンさん、ホール補足/文責:竹内)

第三夜
第四夜

​第四夜 新しき友

コール・ヴァフナの定期演奏会の大切なオープニング曲です。

1985年の第一回から柴田明彦さんの指揮で歌われており、ヴァフナ公式の第一声はこの曲によって発せられました。

第二回は車真佐夫さんの指揮が続き、以降も指揮者を交代しながら今に至ります。

 

元々はヴァフナの母体の一方である獨協大学混声合唱団(以下獨混(ドッコン))の新歓ソングとして歌われてきた愛唱曲を高島豊さんが男声四部合唱版に編曲し直しています。長く歌い継がれてきた素晴らしい編曲です。

 

楽曲について調べてみると、東京学芸大学の草原(くさはら)コールさんの団員の内海謹一さんが作詩、原田史郎さんが作曲、新しい仲間(新入部員)を迎えるために作られたようで、1955年創立から70年の歴史ある草原コールさんのOB合唱団のブログを拝見すると今でも大切に歌われていることがわかります。

 

獨混のOB諸先輩方にお調べいただいたところ、1964年創立の獨混での歌い初めは1971年頃のようで、まだ無名な時代に獨混を指導されていた小林研一郎先生(炎のマエストロ!)からもたらされたものだと伝わっておりました。

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小林先生が1974年に第1回ブダペスト国際指揮者コンクールで第1位、特別賞を受賞される前に獨混と共に指導されていた武蔵野合唱団さんでは、今でも新しき友は団歌として歌われているとのことです。

ご縁を繋ぎながら皆に愛されている、まさに愛唱曲ですね。

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冬去りて、野に花満つる、香しき春よ。

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先日も今期の新たな仲間を迎え入れた際に、皆で歌いました。

もちろん第40回記念定期演奏会でも歌わせていただきます。

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歌う人、聴く人を魅了してやまないこの名曲を世に生み出したお二人と、この曲をコール・ヴァフナにもたらしていただいた数々のご縁に心から感謝して、いつまでも大切に歌っていきたいと思います。

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​(情報提供:獨混OB・OGの皆さま、文責:竹内)

​第五夜 多田武彦先生

第一回定期演奏会から前回ご紹介した「新しき友」と、多田武彦先生の男声合唱組曲(曲集)を歌い続けていること。

それはコール・ヴァフナの伝統です。

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残念ながら多田先生は 2017年に 87歳でお亡くなりになってますが、生涯に719曲の多くの合唱曲を残されました。

113の組曲のうち95の男声合唱の組曲を作られていて、男声合唱関係者からは「タダタケ」の愛称で親しまれているレジェンドです。

 

1990年の第6回定期演奏会の第1ステージ、男声合唱組曲「尾崎喜八の詩から」を指揮をするにあたり、団内指揮者の車さんが多田先生にお手紙でお問い合わせをしたところ、車さんの自宅に突然「作曲の多田ですが」と電話を架けてこられました。

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電話番号はお伝えしてなかったのですが、今は無き104番(電話番号案内)で調べてくださったようです。

電話番号案内サービスは今年2026年の3月末まで続きましたが、当時は住所と姓名が伝えられれば電話番号を教えてくれたのです。

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残業勤務から帰宅した車さんが驚いて折り返し電話をお架けしたところ、1時間半にわたり熱心なご指導をいただくことができました。

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6番目の終曲「かけす」にテナーソロがあります。

お電話越しに「こんな風に歌って欲しい」と、先生ご自身がsotto voceで歌ってくださいましたので、その意をお汲みして本番ソロを馬岡さんにお願いしました。

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​(エピソード提供:車さん、文責:竹内)

第五夜
第六夜

​第六夜 第0回小千谷公演

小千谷青年会議所の35周年事業として、1993年7月3日(土)に開かれた「まちのミニコンサート/第3回合唱ミニコンサート」が通称「第0回」コール・ヴァフナ小千谷公演です。

 

小千谷青年会議所の関さんが一人ずつ出演交渉をした10名が交通費自腹で駆けつけて、関さんの自宅で練習。

11名で本番に臨みました。

 

生憎の大雨の悪天候で観客も20名、関係者を含めて30名くらいの観客でしたが、12曲を披露。

ご来場いただいた数名の方から「すごく良かった。今度は市民会館でぜひやって!」という声をいただき、その声に応える形で翌年からの小千谷公演の実現に繋がりました。

 

・新しき友

・Heidenröslein 野ばら(メンデルスゾーン)

・Gute Nacht(シューベルト)

・柳河(北原白秋作詩/多田武彦作曲)

・ふるさと(オナーティン)

・雨(八木重吉作詩/多田武彦作曲)

・ローレライ(ハイネ作詩/ジルヒャー作曲)

・夏は来ぬ(佐佐木信綱作詩/小山作之助作曲)

・Heilig(シューベルト)

・遥かな友に(磯部俶作詩・作曲)

・スコットランド民謡 Loch Lomond ローモンド湖

・いざ起て戦人よ(藤井泰一郎作詩/マクグラナハン作曲)

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​(エピソード提供:関さん、文責:竹内)

第七夜

​第七夜 嫁ぐ娘に

コール・ヴァフナは獨協大学混声合唱団と混声合唱団コール・ポリフォニーというと2つの混声合唱団が母体です。

男声合唱団として結成されましたが、両団OGから歌いたいという声もあり、第5回記念定期演奏会では混声合唱のステージが企画されて、混声合唱組曲「嫁ぐ娘に」(高田敏子作詩、三善晃作曲)の演奏が実現しました。

 

初の混声合唱ステージをトリに、第5回記念定期演奏会は盛況のうちに終わり、打ち上げ会場に移り皆が盛り上がる中、アルトで歌われていた旧姓鈴木さん(仮名)は意を決して川合先生に告げました。

 

『私、嫁ぐ娘になります!』

『結婚式に出席をお願いできますか?』

 

無事に翌年4月の挙式に川合先生を主賓としてお招きできました。

5回ごとの記念回の混声合唱ステージは、第15回に再開してから恒例となり、第40回で7回目を数えることになりました。

第5回で「嫁ぐ娘に」を歌われた女声メンバーも多く第40回にオンステージされます。

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​(エピソード提供:旧姓鈴木さん(仮名)、文責:竹内)

SP Night 1

Special Night 1 小千谷公演雑感(前編)

 新潟県 小千谷市に拠点を置き、コール・ヴァフナ小千谷公演の招聘側であり、また歌い手としてステージに乗られた 関 暁 さんから、思いで深い小千谷公演を実現させるために当時取り組まれておられたことなどをまとめた雑感を寄稿していただきましたので、千夜一夜物語の Special Night 編として公開いたします。後編の最後にお手元でお読みいただけるように印刷用のPDFファイルも掲載いたします。

​ 関さん、ご寄稿ありがとうございました。それではどうぞ特別なエピソードの数々をお読みください。

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小千谷公演雑感

2026年8月31日 関 暁   

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 コール・ヴァフナ40回記念演奏会の開催、誠におめでとうございます。

本来なら演奏会場に駆けつけて演奏を拝聴の上、お祝いを述べたいところですが、諸事情により叶いません。素晴らしい演奏会にならんことをご祈念いたします。

 

 小千谷公演は、1994年~1997年、小生が小千谷青年会議所在籍時代に3回、そして2009年、2012年のロータリークラブ在籍時に2回、合計5回開催いたしました。また1996年の小出郷文化会館杮落とし「第九演奏会」にも大勢のメンバーからエキスラメンバーとしてご参加いただきました。

 

 小千谷公演開催のきっかけは、別項にある「第ゼロ回」(1993年)にあります。よって、ここでは詳細には触れませんが、この時は予算が無い中、当時のメンバーが交通費自己負担で駆けつけてくださったという、その心意気には30数年を経過した現在も本当にありがたかったと心より感謝している次第です。

 

 それ以降の数回の正式開催に関しては、各回にそれぞれの想い出があり、書き尽くすことは到底できませんが、いくつか印象深かった事を箇条書きでピックアップさせていただきます。

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1. 動機

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・再び、川合良一先生の指揮で歌いたい。

・メンバーと打ち上げでうまい酒を酌み交わしたい。

 

この2点に尽きたと思います。94年の第一回の際、多田武「富士山」の入場の際の川合先生の満面の笑みは30数年を経た現在も小生の脳裏にこびりついて離れません。そして小生の念願だった「富士山」をトップテールとして、ペコさん、大平君、タコさん等キラ星のようなメンバーと共に歌えた感動も昨日のことのように覚えています。

 

 打ち上げは言うまでもなく、毎回本当に楽しく、学生時代にタイムスリップした感覚でした。特に小山君、木下君という芸達者達の余興には毎回腹を抱えて大爆笑でした。

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2. 集客方法

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・小千谷市内6中学校訪問の上、各校長と面談、ご来場のお願い

 小生中学校時代の担任、数学 美術教師らが出世されて校長になられており、快く訪問を受け入れてくださり、趣旨もご理解いただき、演奏会当日は各校数名の関係者同伴でご来場いただきました。

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・小千谷市内合唱団2団体への賛助出演依頼及びチケット販売依頼

 当時小千谷で活動中の小千谷混声合唱団(後年解散)、女性合唱団コールR(現在も活動中)の練習会場を訪ね、賛助出演の依頼とチケット販売をお願いしました。賛助出演いただければ、メンバーのご家族・知り合いのご来場が見込めると思ったからです。

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 各団体訪問当初はいずれも乗り気薄で、特にコールRの指導者 新野一枝先生からは「JC(青年会議所)の言うことは信用しない!」とのきついお言葉をいただきました。先生は当時のJCは口ばかりで、何も行動しないというイメージをお持ちでした。

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 しかしながら、2度3度と訪問を重ね、小生が大学時代混声合唱部に所属し、主に外政の仕事をやっていたこと等をお話すると少しずつ態度が軟化し始め、最後はコールRでチケット販売100枚超えと、大変なご協力をいただきました。この新野先生からは、その後の小千谷公演でも毎回大きな貢献をいただきました。

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 新野先生ご自身は武蔵野音大声楽家出身で、小千谷市でも2~3年に1回、コールRの発表も兼ねてソロリサイタルを開催されております。時期の記憶が定かではないのですが、2009年4月だったでしょうか、そのリサイタルにヴァフナ数名を自費で招待していただき、カルメン「ハバネラ」のバックコーラスを務め、小ステージも設けてくださいました。(詳細はシューマン、小山君あたりに聞いてください)このコールRは年々技術を磨き、最近ではママさんコーラスコンクールの強豪となり、毎年県大会を勝ち抜き、上の大会に進出されております。

​

​つづく

SP Night 2

Special Night 2 小千谷公演雑感(中編)

3. チケット販売その他

 

 市民会館の席数は500弱ですが、付き合いで購入くださる方も多いため、最低600以上売れば、7割で420人程度の集客を見込んでおりました。

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 第1回公演は、小生はJC文化事業委員会委員長として委員会メンバー各自に販売ノルマを課し、毎週進捗チェックをするという、まるで昭和のどこかの会社の営業会議の様相を呈していました。その時の合言葉が「できない理由は言わない、とにかくチケットを常に携行し、常在戦場で臨め。」と発破をかけまくっていました。

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 今の時代では、間違いなくパワハラで訴えられそうですね。その際の小生のノルマは100枚で、その数字はその後も毎回お約束となりましたが、お陰様ですべて達成することができました。広告スポンサー獲得も貴重な資金源となり、一時期小生のことを「酒を売らないで歌のチケットと広告取りばっかりしている。」と揶揄する方がいましたが、まさにその通りの毎日でした。ただ、この際の経験は社業にも大変役立ち、その後の社業発展に大きな力となりました。こうした活動の結果第1回公演の来客数は430名程度の集客を達成し、市民会館はほぼ満員に近い形になりました。

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 第2回公演以降も毎回400人前後の動員は達成でき、この点に関してはヴァフナメンバーの方々からも大勢の観客の前で演奏出来ることを大変喜んでいただきました。

 

4. 小千谷公演が小千谷市音楽活動にもたらしたもの

 

 第2回公演の盛況振りに気を良くし小千谷JCは住民参加型での「第九演奏会」を提案。しかしながら市民会館では会場のキャパシティやステージの狭さ等の理由で一旦難しいとの判断が下ります。しかし翌96年隣町の魚沼市にオープン予定の「小出郷文化会館」(当時)の杮落しイベントとして日の目を見ることができました。

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 この杮落しの貴重な情報を提供いただいたのが、前述の女性合唱団コールRの新野一枝先生でした。我々小千谷JCはこの情報を得て、地元である小出JCに合同事業として「第九演奏会」を提案、杮落し企画として採用されました。

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 その後小千谷市では「小千谷第九合唱団」魚沼市では「魚沼混声合唱団」をそれぞれ結成、約1年に渡る練習期間を経て96年6月に指揮者大町陽一郎氏、オケには新交響楽団を招聘し、演奏会は大成功理に終了しました。

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 演奏会終了後、小千谷第九合唱団のメンバーの多くから、「このまま終わりたくない。合唱団を継続してほしい。」という声があがりました。そこでまた再びJCが主体となり、新たな合唱団、混声合唱団OSC(オヂヤスピリチュアルコーラス)を結成し、活動を開始しました。初代団長は行きがかり上、不詳小生が務めました。

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 このOSCはこの後、今日に至るまで活動を継続し、来年設立30周年の記念すべき年を迎えます。小生は、諸事情により2000年代に入り退団いたしましたが、昨年復帰し、現在は会費要員として末席を汚しております。

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 元々は第0回の商工会議所で開催したミニコンサート、そしてその後の市民会館での小千谷公演が導火線となり、小出郷文化会館杮落とし(第九演奏会)、さらには新しい合唱団誕生にまで至った訳です。本当にすごい影響力だと痛感しています。

 

5. 小千谷合唱フェスティバル(1997年)第3回公演に関して

 

 この年、小生は小千谷青年会議所理事長に就任しました。そこで数年に渡った合唱事業の集大成として企画したのが「小千谷合唱フェスティバル」でした。ヴァフナをメインゲストとして招聘し、新設のOSCも含めた市内3団体を集め賑々しく最後を飾ろうということで、事前準備とりわけチケット販売には力を入れました。

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 JCの担当委員会(文化事業委員会)の委員長には入会してまだ2年程度の新人宮崎悦男君を抜擢し、年初より毎週のように小生も毎回出席した上で委員会を開催。チケット販売、広告スポンサー集め進捗チェックを徹底して繰り返しました。またしても昭和の営業会議の再現でした。その結果、本番は第1回公演を上回る集客となり、ほぼ満員の観衆を動員出来ました。この宮崎委員長とは本番打ち上げ後も延々と拙宅で明け方まで飲み明かし、成功を喜び合いました。

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 ちなみにこの宮崎君は後年新潟県議会議員を2期務めた後小千谷市長選挙に出馬、三つ巴の選挙戦に圧勝し、現在2期目の任期中です。当時よりたいへん熱意のある若手で、いろいろなことで一緒に仕事をしました。たまに市長とお会いする機会もありますが、「あのJCでの経験は本当に役に立った。熱意は磁石のように人をひきつける場面を何度も経験した。」とありがたいお言葉をいただいております。

​

​つづく

SP Night 3

Special Night 3 小千谷公演雑感(後編)

6. 第4回(2009年)公演に関して

 

 第3回公演から12年の時を経て再び開催した2009年第4回小千谷公演。小生もJCを卒業し、50歳となり、小千谷ロータリークラブの会員となっておりました。当時ロータリークラブでは小千谷ロータリー混声合唱クラブなるものを組織し、市内各地の老健施設に「唱歌の出前」なる企画を実施し、15分程度懐かしい唱歌や演歌を披露していました。小生もそのメンバーでした。指導者は何と前述のコールR指導者新野一枝先生、まさにヴァフナ以来のご縁でした。

 

 ある日その合唱クラブの飲み会で、「どこかでロータリー合唱クラブも大勢の観客の前で歌ってみたい。久方ぶりにヴァフナを招聘したらどう。」みたいな話になり、当時ロータリーではまだ若手の小生にノーという返事はあり得ず、稲垣団長(当時)にお願いした次第です。

 

 2009年で何といっても想い出深いのは、小生が中学時代からの熱狂的ファンであつた小田和正さんの楽曲「この道を行く」をメンバーと共に歌えたことでした。この曲は小田さんが毎年暮れに放送していたTBS系音楽特番「クリスマスの約束2007」などで披露された、小田さんが早稲田大学グリークラブのために書き下ろした合唱曲で、いたく気に入り是非歌ってみたいと思っていました。

 

 しかし、著作権・許諾の問題もあり難しいと思っていましたが、ご縁があって小田さんサイドから演奏許可をいただけて楽譜もお送りいただき、念願の曲を皆で歌うことができました。いまでも小田さん始め関係者の皆さんには感謝の気持ちで一杯です。当日の演奏は、ソロパートをバリトン小山君が朗々と歌い、同期として感慨もひとしおでした。

 

7. 第5回(2012年)公演に関して

 

 2012年第5回公演は、「小千谷ロータリークラブ創立50周年記念事業」として開催いたしました。この際のヴァフナ メインステージでは、小千谷市出身の世界的詩人 西脇順三郎の「アムバルワリア」(千原英喜作曲)を小千谷市初演で演奏いただき、谷井市長(当時)始め市の「西脇順三郎を偲ぶ会」のメンバーの方達をご招待し、喜んでいただきました。

 

 この後の懇親会では一次会を「割烹東忠」で開催し、谷井市長(当時)からもご参加いただきました。二次会は「ナイトパブ司」というかなり大きなお店を借り切って、ヴァフナ、ロータリークラブメンバーはもちろん、市内合唱3団体からも大勢参加いただき、大カラオケ大会となりました。この時の写真も各メンバー入り乱れて満面の笑みの集合写真が別項の2012年のギャラリーに掲載されています。この時も小山君の「ヨーデル」は大うけでした。このロータリー主催による2度の公演は、翌日に小千谷市内観光も企画し、皆さんから喜んでいただきました。

 

8. 終わりに(改めて思うこと)

 

 この一連の「ヴァフナ小千谷公演」は間違いなく、小生の人生の中で輝かしい思い出として終生残ると思います。企画当初は不安ばかりで、外政・プログラム・チラシ作成・タイムテーブル等一人で何役もこなしておりましたが、活動する中で次から次へと良き理解者協力者が現れ、お陰で大きなコンサートを何回か実現できました。

 

 お忙しい中、正式な演奏会にはすべてご出演いただいた川合先生、武部先生には、この場をお借りし改めまして心より感謝申し上げます。両先生のパフォーマンスは小千谷市在住の音楽関係者には斬新かつ刺激的であったと思います。

 

 ヴァフナの演奏も既存団体のメンバーには刺激的で、後の他団体の成長の一助となったことと確信しています。また交渉窓口として関わった3人の団長、本田さん、清水君、稲垣君にも大変お世話になりました。皆さんご多忙の中、頻繁な連絡によくご対応いただきました。

 

 結びにヴァフナの益々のご繁栄をお祈りします。いつかまた小千谷公演が出来たらいいですね!

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​(寄稿:関 暁さん、文責:竹内)

​前・中・後編をまとめてお読みいただけます。
第八夜

​第八夜 太田直樹さんに繋いでいただいたご縁

2017年にコール・ヴァフナの常任指揮者 川合良一氏を音楽総監督に「オーケストラでもない、合唱だけでもない、音楽集団」として「Musikufreunde 燦(ムジクフロインデ サン)」が立ち上げられ、2017年1月17日にミューザ川崎シンフォニーホールで第1回演奏会を開催、ベートーヴェンの交響曲第9番「合唱付き」が演奏されました。

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その第1回演奏会でバスのソリストを務めていただいた故太田直樹さんが亡くなる1週間前に病床の中から、ソプラノ天羽明惠さん、テノール小貫岩夫さん、バス山下浩司さんを奇跡的にご紹介いただき、2019年1月には第2回演奏会でモーツァルトのレクイエムを演奏し、2025年5月の第4回演奏会まで、超一流のソリストの皆さんと長くご一緒させていただくことになりました。

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太田さんが病の床にありながら、私どもとの約束を忘れずに、最後の力を振り絞って Musikfreunde 燦 に贈っていただいた奇跡的なプレゼント。このご縁を大切にしながら、ソリストの皆さんと作る音楽が天国の太田直樹さんに届け!と念じております。

 

Musikfreunde 燦 ではソリストの皆さんを「先生」という敬称ではなく「さん付け」でお呼びしており、それこそがソリストの皆さんと団員の距離を縮めた秘訣の一つです。

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太田直樹さんのご葬儀で、天羽さんと初めてお会いした時、「天羽先生でいらっしゃいますか?」とお声がけしたところ、「はい、天羽ですけど、あなたの先生ではありません」とビシッと言われ、少々面食らいました。​天羽さんによくよくお話を聞いてみると、指揮の川合さんはこの団体を音楽的に束ねてゆく役割なので「先生」かもしれないが、私は皆さんと一緒に音楽を作り上げていく「仲間」であり、音楽の前では対等な位置付けであるし、そうありたいと思っている、というお話をいただきました。

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「先生、先生!」と周りから言われると「先生病」になっちゃうしね。というお話を聞きとても納得し、同時に感激して、こんな方がソリストを務めてくださるとはなんと幸せなのだろうと思いました。これこそ団体名であり、目指している「Musikfreunde(楽友)」であると。それ以来、天羽さんとお呼びしています。

​

その後、Musikfreunde 燦 で天羽さんに合唱のヴォイストレーニングをお願いしたご縁から、当団コール・ヴァフナでもヴォイストレーニングをお願いすることになりました。太田直樹さんが繋いでくださった天羽さんとのご縁は少しずつ広がり、尚且つ深まっていくばかりです。

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​(Musikfreunde 燦 公式ブログの浅野団長寄稿文から抜粋・編集、文責:竹内)

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